生活保護体験談 M.H.さん48歳女性 復活するまでの生活基盤


皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

復活するまでの生活基盤
私MHが生活保護を受けていたのは、今から3年前までの7年間です。現在は48歳で、当時は埼玉県ふじみ野市に住んでいました。生活保護というと一般的にとてもイメージが悪く、周囲の偏見から何度も嫌な思いをしましたが、その時期の私にとっては命をつなぐ、まさに救世主のような存在でした。

 私は30代になってから、体調が優れない日が続いていました。なかなか原因が分からずに沢山の病院を回り、1年ほどかかって、ようやく自分の病名を診断されましたが、その時には仕事を辞めざるを得ない状態で、貯金も使い果たしていました。

 この頃、私の状態を理解できない夫との関係が悪化し、話し合いの結果、離婚することになりました。私は当時、普通に座っていることが出来ないほど衰弱していて、離婚の条件などが話し合える状態ではありませんでしたから、身一つで家を出る形となってしまったのです。

 行くところもお金も何もない状態で、とりあえず理解ある友人のところに身をよせました。放心状態で横になりながらも、今後のことが不安でたまりません。完治するかどうか分からない病気といわれていたので、通院もしなくてはなりませんし、どこから手を付けていいのか全くわかりませんでした。

 とにかく誰かに相談しようと友人が言ってくれて、まず役所に電話をしてみることにしました。生活に困っている、お金がない、病気だということを話すと、担当の女性が家を訪ねてきてくれました。そして「生活保護の申請をすることを考えましょう」と提案されたのです。

 私には兄弟がなく、親は早くに亡くなっています。親戚づきあいも全くない上に、結婚して地元から離れていたので友人も身を寄せたこの一人だけでした。この友人にも家庭がありますから、長く置いてもらう訳にはいきません。係の方は真剣に話を聞いてくれました。でも自分がそんな状態でも、自分で稼いだお金ではないもので暮らすことに、とても抵抗があったのは事実です。

 その後も何度か話し合いをしていき、ついに私は生活保護を申請して、落ち着いて病気を治す努力をしようと決めました。実際もうそれしか選択肢がなかったのです。それから数か月かかって小さな部屋を決め、一人暮らしをしながら通院して、孤独ながらも静かで落ち着いた日々を過ごしていきました。

 私が受給していたのは家賃などすべて含めて月額10万円ほど。これは居住地や年齢によって異なるそうです。単身30代後半の女性ではこのくらいです。2か月に1回振り込まれ、年度によっても多少増減がありました。食費も生活費も限界まで切り詰め、電気代を減らすためにコンセントはすべて抜いておく、携帯電話もずっと同じガラケーを大事に使う。こんな風にして何とか生きていけるくらいの金額でした。




 受給者にはケースワーカーが月に1度くらい訪問してくれて、日常の様子を聞いてくれます。病院でのことや、毎日の困りごと、粗大ごみの搬出方法など、自分では対処できないことも相談に乗ってくれます。

 近所の方に生活保護受給者であることがなぜか伝わって、嫌味を言われたり嫌がらせをされたりもしました。辛かったしプライドが傷つきましたけど、じっと我慢しました。でも病院費用がかからなかったので安心して治療に専念できましたし、手術が必要になり入院をしましたが、主な費用は保護費で賄えたのでなんとかなりました。あとは地味で目立たない生活をして、騒音や、ごみの出し方などに特に気を使うようにしていました。

 こうして私は、7年かかって無事に病気を完治させることが出来ました。仕事が決まったと同時に生活保護の受給をやめ、別の街で再スタートを切ることができたのです。今後の人生、まだまだ頑張ることが出来るのも、あの時期に生活保護を受けることが出来たからです。




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