生活保護体験談 Y.I.さん35歳女性 亡き祖母は生活保護受給者でした


皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

亡き祖母は生活保護受給者でした
私は三十代女性のY.Iと申します。私自身ではなく、亡き祖母のことについてお話させて頂きます。祖母は亡くなった時、70歳でした。イニシャルはM.H。性別はもちろん女性。当時は東京都板橋区で、一人暮らしをしていました。

神奈川県に住む私達家族の家とは微妙に遠く、またあまり行き来がなかった為、直に会うのは約十年ぶりでした。そんな我が家へ、祖母が倒れたという連絡がきたのは4年前のこと。慌てて病院へ駆け付け、久々に対面しました。手紙や電話で稀にやり取りはしていたものの、久しぶりに見た祖母は記憶よりずっと年をとり、小さくなっていて驚きました。そしてその時初めて、祖母が肝臓を悪くしていたこと、仕事が出来ず、生活保護を受給していたことを知りました。

年に数回の電話の時も、私達のことを訊くばかりで、そんな話題は一度も出ませんでした。今思えば、息子夫婦や孫に心配をかけまいとしていたのでしょう。「便りが無いのは元気の証拠」と、呑気に考えていたことを恥じました。今もヘルパーとして、元気に働いているとばかり……。

その後、祖母がお世話になっているヘルパーの方やご友人、役所の方と話す機会が増えました。しばらく入院生活が続くので、必要な手続きを、孫の私がやろうと決めました。息子である父は仕事で遠方におり、なかなか板橋まで行けないからです。また今まで、祖母にあまり感心を払ってこなかったことへの罪悪感もありました。




祖母の友人やヘルパーさんに、この数年の祖母の生活についてお聞きしました。身体の具合が悪く、もう家のことを自分では出来ないこと。ヘルパーさんやご友人が、買い物や食事の用意、役所への申請などをやってくれていました。生活保護の申請も、そのご友人がしたのだとか。この方には色々とお世話になり、本当に感謝しています。

我が家から板橋までは片道一時間半かかり、また仕事がある為、お見舞いに行くのは週に一度。祖母のお世話は皆、病院のスタッフさんがやって下さいました。寝間着やオムツ代、薬代などがかかりますが、区が負担してくれます。入院はひと月ほど続き、その費用をすべて私達家族が負担したら、どれほど大変だったでしょう。退院後、自宅へ戻りたいと希望した祖母の、生活のお世話をしてくれたヘルパーさん、訪問医師さんにもお世話になりました。その後、祖母の病状は悪化し、再び入院。数ヶ月後に亡くなるまで、複数の病院を転々としました。

父が若い頃に夫である祖父と離婚し、子供とも別れた祖母。息子家族とあまり行き来がなかった彼女が、具合を悪くしてもちゃんと生活出来ていたのは、生活保護のおかげです。また私達家族も、役所の方に度々相談にのって頂きました。本当に感謝しています。




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