生活保護体験談 J.J.さん44歳女性 生活保護の周辺を漂って 


皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

生活保護の周辺を漂って
名前 J・J
年齢 44
性別 女性
市町村 M市二十年前、私は25歳でした。H市で一人暮らしをはじめましたが、15歳で初発の統合失調症が再燃し、就業もままならず、市役所に相談に行き、生活福祉資金の貸付けを願い出ました。

ところが、H市に暮らしはじめて半年以上経過していたものの、住民票を提出するなどの行政手続きについてまったく無知だったため、私は市内の住民になっておらず、やむなく福祉課にまわされ、生活保護を申請することになりました。利用できるのが生活保護しかないということで、その時は扶養できるか否かの打診が市役所から私の親元に送付され、親が「扶養する」に○をして返送したため、申請したものの受給には至らず、私は親からの仕送りを受けることになりました。

「どうしてあのとき、生活していく上で欠かせない行政手続きの方法を、事前に学ぶ機会が私には無かったのか」。…と、そんな経験を経てから、やみくもに就業し、転職を重ね、後に私は介護の仕事に就くことになりました。

初めての利用者は、脳性まひの、終日介助が必要な方でしたが、この方が、「施設を出て地域で自立生活を営む障害者」のさきがけになる活動をされてきた方でした。生活保護で生計を立てておられましたが、「生活保護を受給して生活する」ことに「やましさ」を感じなければならない風潮に、その方は「私は社会のお荷物ですか?」と問いかけておられました。

この時代、生活保護があるから生きていくことができるその方を前に、生活保護を受けることを否定することで健常者たらんとしていた私は、「あなたは社会のお荷物です」と言ってしまいかねない、自分自身の核心の残酷さに向き合わざるを得ず、葛藤したのを覚えています。しかもその残酷さは、目の前のその方のみならず、かつて生活保護を受ける一歩手前までいった、「社会のお荷物」でないふりをし続ける、自分自身をも傷つけるものでした。




…あれから随分経って、この最近、私と歳の近い、私と同じ疾患で生活保護を受給しながら静かに暮らしている方に出会う機会がありました。急性期に措置入院の後、ソーシャルワーカーの助けを得て、スムーズに支援につながることができた方でした。

正直なところ、私には彼女が羨ましく感じられました。似たようなところにいながら、支援につながることができた彼女と、支援につながることができずに、無我夢中で健常者を演じて、何故か支援をする側にいる私。一体、運命を分けたものは何だったのか。

現在は私のような疾患を持つ生活困窮者と行政の間の橋渡しをする支援者の活動が活発になってきたと感じますが、二十年前、右も左もわからないくせに、必死になって親元を離れて自立しようとしていた私は、「結局一人前の大人にはなれない」と、自分の思いを砕かれつつ、手を伸ばしてもどこにも助けてくれる人が見当たらず…。

後に私が支援者の側になったのは、かつて自分が必要としていたのに、手を伸ばすあてが無かったせいかもしれません。しかし今なお、私は、理不尽だったり不可解だったりする社会のきまりごとを、咀嚼しきれずに反芻しています。

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