生活保護体験談 Y.A.さん47歳男性 長期に亘るKさん宅の生活保護の現状


皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

長期に亘るKさん宅の生活保護の現状

Y.A.47歳男性

今回の記事は、私の実家のあるこちらの南九州地方にある鹿児島県側の曽於市内に住んでいる、20年以上にも亘り、生活保護の受給をして過ごしているKさん宅での現状について、話していく事にします。

ここのKさん宅の話自体は、あくまで私の実家にいる父から直接聞いた話の内容になりますが、改めてその他の知人の方から私が訊いた話の内容をも交えながら、修正をしたうえでの流れで記述をしていくようにします。

Kさん自身は現在、60代半ばの高齢者にあたり、現在障害者である(障害のニーズや介護度などは不明ですが)長男さんとその奥さん、そして彼等の2人のお子さんである長男(兄)と長女(妹)の、5人の二世帯家族で暮らしている家庭です。早く旦那さんを亡くして、現在よそに嫁いでいる長女さんと現在同居をしている長男さんの2人を、女手一つで育ててきたようなこれまでの経緯から、その際に生活保護の申請や受給などに、大変助けられてきたりしたと言われています。しかしながら、それまでの申請の段階から実際の支給までには、とても大変な現状があったものと本人も言われていたそうです。




Kさんの場合、親族の方も少なく、それゆえに最初はこの制度の申し込み手続きの際には、その判定の際の基準が中々厳しく、その利用が認められるまでには本当に大変だったそうです。収入の少ないパート勤めであった若い頃の過酷な子育ての日々の中、そのうえ中学校卒業といった低学歴な少女時代を過ごしてきたこれまでの生い立ちなどがありましたので、それまでの苦労は並々ならぬものがあったような感じがします。

そして現在、生まれつきの何らかの障害を負っている長男さんとその家族の皆さんと一諸に同居をして過ごしているような状態になっていますが、やはり、何時現在給付を受けているこの制度自体が打ち切られたりしはしないかの不安が、大変あるような心境でもあるとの事でした。

まだ今から高校などへの進学あるいは就職を控えたりしている2人のお孫さんの経済的な援助などもやっているような最中ですので、現在のこの曽於市や私がいるこちらの宮崎県側にある都城市、出生地である鹿屋市その他の市区町村をはじめとする我が国におけるこの制度の支給基準のあり方などは、正直Kさんや父からの話からして、どうも厳し過ぎるような傾向がある感じが、私の確認した情報の範囲内ではあるような感じがしてなりません。
もう少し、緩やかな基準を貧困の度合いを考慮したうえで、あるべきなのでは無いのかというのが、私の今の本音です。

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