生活保護体験記」カテゴリーアーカイブ

みなさんからお寄せいただいた生活保護体験談

みなさんからお寄せいただいた生活保護の体験談やエピソードを集めてみました。出来るだけ原文のままおのせしていますが、プライバシーに関するところは改変してあります。色々な方の様々な体験が読み物としても心に響きます。

生活保護体験談



















生活保護体験談 K.U.さん45歳女性 家族が生活保護受給者になった日

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

家族が生活保護受給者になった日
KU45歳女

母は実年齢より若くて、元気だと近所の人たちのもっぱらの噂でした。実際母も、そういってもらえているのを喜んでいました。でも、本人も周りの人たち皆も気が付かなかっただけでした。母は病気を患っていたのです。

母は、再婚して高齢出産を経験しました。10代のころ、私と弟2人を産んで、そのあと30歳後半で女の子を産みました。私にとってはじめての妹ができたわけです。私たち姉弟は無事に就職もしていたし、妹は丈夫にすくすく成長していき、再婚相手の旦那さんはみんなに優しいひとで、このまま何の問題もないまま日々はずぎ去っていくかのように思われました。しかし、大切なことにこの時誰もが気が付かなかったのです。

妹がまだ幼稚園に通っていた時の事。母がある日言いました。「左の胸上付近にしこりのようなものがある」それで病院に行ったみたいです。その後、帰ってきたので様子を聞きました。本人は何もいわないので、私と弟で問いただしたのでした。母はなにくわぬ顔で料理していた手を止め、「なんか、わるかったみたい」と。本人は、乳腺症のつもりが、実は乳がんになっていたのでした。

母は、若いころとても痩せていました。血圧も低かったらしく、聞いたはなしだと、私がおなかにいたころ具合が悪いので病院にいくと、立って歩いているのが不思議だ、と先生に言われたそうです。それほどまでに血圧が異常なほど低くなった時があったみたいです。
朝起きるのがとても苦手な人でした。よく、起きるときとても不機嫌そうにしていたのを覚えています。母は、だから体が普通の人よりあまり丈夫じゃなかったのだろうと今になって思います。




家族でがんになった人は母が初めてだったという事もあり、動揺を隠せませんでした。きっと、この時家族全員がそうだっただろうと思います。幸い、いい病院が見つかり手術は無事成功しました。投薬治療の段階で、髪の毛がすべて抜け落ちはしていましたが、しばらくするとそれもやっと生えてきていました。まゆげもです。でも、もとのストレートの髪質だったのが天然パーマに変わってしまい、それだけはいまだに元通りになっていません。

母が元気になって安心しはしたものの、これからが大変でした。がんというものは、手術したから治るというものではなく、その後の再発がやはり心配です。母もそうで、手術後、術後の経過や再発防止のための通院を余儀なくされました。それには、とてもお金がかかりました。注射一本でも10万円くらいはしたそうです。母は、再婚後、旦那さんと子供(異父兄弟の私の妹)の三人で新しく家を借りて住んでいたのですが、生活費など考えるととても払っていける金額じゃなかったと思います。

市役所に相談にいくと、生活保護の申請を勧められたそうです。こうして、仕方なく申請を済ませ、やがて母の家は生活保護受給者の家庭になりました。そして、受給金で生活し、なんとか通院を続けているようです。いずれは、元気な体を取戻し、普通の一般家庭に戻れるように母たち家族は今も健気に頑張っています。




生活保護体験談 I.F.さん40歳男性 申請して認可されるまでが大変 

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

申請して認可されるまでが大変
名前 IF
年齢 40
性別 男
在住 埼玉

生活保護を申請して受給が始まったらそんなにおっくうではないのですが、生活保護を申請するまでが大変なんですね。生活保護受給者とは結局は、役所に対して何かあったら報告なんですよ。それを知らないで自分の判断でやってしまうと、ケースワーカの逆鱗にふれて警戒をされます。

自分の話なんですが、自分は短期間の仕事をしたんですが自分の考えでは、不正受給とは収入があったにも関わらず報告義務を怠ったら、これを不正受給者と言うのだと思っています。そういう訳で、仕事をしているだけでは不正でもなんでもないと思いました。生活保護の取り決めにも、能力に応じて働きなさいとなっています。従って働く事はむしろ、生活保護者でもすべきことであって制約される事ではない、というのが私の認識です。

ところが役所の認識は違っていて、働いているという事を報告しなければ目をつけるという考えのようでした。酷かったのは、病院から報告されたようでなんだか監視社会みたいでした。自分はしっかりと収入申告も正直にしています。給料明細から契約書まで、しっかり提出しているので不正な支給金を頂いた事はありません。




これは私個人の印象ですが、ケースワーカつまり人によってはまちまちかも知れませんが、役所の中にはお金を支給してやっているという気持ちは少なからずあると思います。私からすれば、ケースワーカーからお金を貰っているなんて考えも及びませんが、彼らからするとそれがあたかも自分が支払っている、養っているという感覚なんでしょう。おそらく上からの目線で我々を見ていると思います。

仕事に従事するという事は、自立へむけて本人が努力をしている証だと思うのですが、そうは捉えないのでしょう。つまり評価をすべきところなのに、そうは見ていないという事ですね。むしろ雑用が増えて、大変になるという考えをもっているのかもしれません。本当に自立をさせるつもりがあるのか?と聞きたくなる時もありますが、我々は波風立てないようにしているだけなんですがね。それが解ってもらえない。

色々要望とかしたいのですが、なかなかそれも聞き入れてくれません。父の墓参りにどうしても自動車を使用したくても、それも許可してくれません。遊びに行くわけではないのですから、もう少し寛容な配慮をして頂ければこちらとしてはうれしいのですが、なかなか解ってくれなく歯がゆく思っています。




生活保護体験談 K.S.さん35歳女性 自治体で温度差?受給できなかった思い出

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自治体で温度差?受給できなかった思い出
35歳主婦、K.Sと申します。現在は生活がどうにか立て直っていますが、一人暮らしが長く、精神疾患(うつ、不安障害、摂食障害、自傷行為など)がひどく、さらに実家の家族とも仲たがいしていた若い時代には、金銭的に大変困った時代がありました。

25才のとき、私は3度目の精神科入院を3か月間しました。不安定だった私は、学校卒業後も定職には就いていません。実家の親とも縁がないので、アパートも保証人不要の物件を選んで借りていました。その頃は東京都調布市に住んでいました。

そして、最終的には風俗店で働いていました。週数回の短時間勤務で高額の給料がもらえるからです。そのころ私には彼氏ができて、同棲しようかという話になりました。ですので、私は自分の住んでいたアパートを引き払い、三鷹市の彼のアパートで同居するようになりました。ですが、すぐにまた私の病状が悪化して、また精神科に入院してしまいました。それが先ほどの、25才で3か月の入院した話です。

入院して、貯金は入院費で吹っ飛んでいきました。退院日は決まったものの、とても働ける状態ではありません。同棲している彼は、同い年でしたが、お金には厳しく、また彼の給料もよくなかったので、私には自分のお金がありません。『今度こそ生活保護してもらわなければいけない…』と、住民票のある調布市役所に相談に行くことにしました。




パーテーションのある相談場所に通されると、職員さんがやってきて、私はいろいろ質問され、精神科の入院状況や病状、貯金がないこと、援助してくれる家族がいないことなどを話しました。「あなたの状況からすると、すぐにでも保護してあげたい。」と調布市役所の職員さんは、大変優しそうな顔で受給の意思を示してくれました。ただ、ひとつ難色を示しました。それは、あくまで保護するかを決めるのは、住民票ではなく現住所ベースで、彼のアパートのある三鷹市役所だということです。そしてもう一つは、彼氏と同棲していることが三鷹市がどう判断するかわからない、と言われました。調布市役所では、私は受給資格があるように受け取りました。

すぐに三鷹市役所に行くと、今度は少し強面の職員さんがやってきて、先ほどの調布市役所と同じような質問をされ、私ももう1度自分の状況を説明しました。三鷹市では、答えは即答でした。「同棲しているのなら、保護できません。」調布市では、今すぐにでも保護してあげたいと言われていた私が、いきなり手のひらを返されたような冷たい反応だったので、驚いてしまいました。三鷹市の話では、彼氏がいるということは『内縁の妻』という扱いになるので、私は保護対象にはならないのだそうです。
とはいえ自分のお金がほぼまったくない私はどうすればいいのかわからず、「さっき、調布市役所だと、保護してくれるって言われたんですけど…。それに、やくざみたいなあくどい人だって、もらってるじゃないですか…」と泣きながら訴えると、「あなたがかわいそうだからといって、出すわけにはいかない。条件を満たしていないから。そういう(あくどい)人たちは、条件をそろえてるんだ。条件がそろっていたら、こちらも出さざるを得ない。」との返答でした。「もし保護してもらいたいのなら、引っ越して一人で暮らしてから、もう一度申請に来てください。でもだからといって、申請が通るとは限りません。」これが、最終的な返答でした。

私は奈落の底に落ちた気分で、彼の住むアパートに帰りました。しばらくは、何もせずにいました。何もしなくてもどうしようもないので、ハローワークに相談に行き、病気のことを話し、私は『病気でも雇ってくれる場所』というところを、職員さんと必死で探しました。時間はかかりましたが、どうにかそのような職場を見つけることができ、また治療にも専念し、家賃を払えるほどに努力しました。今でも、生活保護と聞くと、この時の悲しい思い出が蘇ります。




生活保護体験談 M.M.さん50歳女性 不動産関係者からみた生活保護受給者

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不動産関係者からみた生活保護受給者
M・M 50歳 女性 広島市

これは、私が不動産会社で、契約の仕事をしていた時の話です。関西の東大阪市の不動産会社で働いていて、賃貸の店も東大阪市にありました。大体のお客さんは、学生さんが多いのですが、高齢者のかた、中高年の方もいらっしゃいました。その中には、生活保護費を受給している方もいました。高齢の方は、社会保険をかけていなくて、年金を受け取れない方。75歳以上の方が多かったです。

私が一番印象に残っているのは、42歳の男性の方です。その方は、精神疾患で、仕事ができなくなり、生活保護を申請している方でした。受給もできることになり、東大阪市の福祉事務所の方と一緒に、アパートの契約にきていました。保護費は、98,000円で、家賃は35,000円の所を契約していました。障害の度合いにより、保護費の金額、また借りられる部屋も家賃も決まるようです。外見は、全く、普通の人でした。どこにでもいるようまサラリーマンです。ただ、一点をぼーっと見つめているという感じでした。時々、意味不明の事も、もごもご言っています。昨日、部屋でいると、ゴキブリが話しかけてきたとか、カラスが、俺の悪口いっているんだよ。とかです。やっぱり、この人ちょっと、普通の人と違うなと思いました。




契約のやり取りは、福祉事務所の人が全部やっていきました。後日、部屋の鍵を取りに来た時は、彼一人できました。福祉事務所の人はいません。その時の態度が忘れられないのですが、本当に、普通の人なのです。横柄なおじさんという感じです。
「早く、やってよ。この後すぐ、予定入っているんだから、食事会なんだよ」
え?だれと食事会と思いました。この前の、恍惚の人みたいなリアクションは、どうなったんだ、と同僚とあんぐりして、彼を見つめてしまいました。

その後、彼は、携帯を片手に、誰かと話しながら、出ていきいました。後姿は、個人事業主と言った感じで、やり手と呼ぶにふさわしい感じでした。しかし、彼は、世間から見れば、生活保護費を申請している、生活弱者なのです。その時の上司と、働くのばからしくなるね。と言ってしまったのを覚えています。

その後、北海道で、障碍者の妹がいる、姉が、その妹と二人で餓死するというニュースがありました。世の中不平等で、何となくやりきれない気がしました。彼も、職場などで深く傷ついて、精神的なダメージを受けたのかもしれないけど、もし、調子が良くなっていて、働けそうなら、もっと恵まれない人に代わってあげて欲しいと思うのですが。




生活保護体験談 T.O.さん36歳男性 うつ病で会社を辞め生活保護受給

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うつ病で会社を辞め生活保護受給
栃木県鹿沼市で生活保護を受給しているT・Oといいます。 
現在一人暮らしをしている36歳の男です。生活保護は2014年7月から受けている状況です。受けるに至った経緯は、以前勤めていた会社がいわゆるブラック会社で無償での過度な時間外労働や自分に対する処遇等で不当な扱いを受け続け心身ともに疲弊した結果、病を患ってしまい仕事を続ける事ができなくなり辞めたからです。
 
その後病院で検査してもらい医師からうつ病だと宣告されました。治療に専念していましたが一向に回復の兆しがなく、何も考えられないし手につかない状態が続きました。そんな生活が続き貯金も残りわずかとなり今後をどうするかと悩んでいたところ、お世話になっている医師が生活保護の提案をしてくれました。
 
現状がギリギリの状態だったため、すぐさま言われた通りに市役所へ。事前にネットで調べたら中々申請は受けてもらえないと言う声が多く不安だったのですが、担当の方に自分の状況を伝えたらすんなりと申請を受けてもらえ、審査してもら受給条件もクリアしていたので生活保護の受給が決定しました。



 
この時、審査で多少引っかかったのは手持ちの資産。この中に車やパソコンの有無。自分はどちらも所有してますが、これらを所持していると受けられないとのこと。ただ例外はあるようで、車は自分の場合は医師の許しが無いと運転できない状態で、仕事探しや再開した場合にも車が無いとどうする事もできない状況。パソコンもうつを患っているので仕事探しをするにも普段の生活でも必要と判断されたため免除となりました。援助ができるような親族もいないためこちらもクリア。そうして受給による生活が始まりました。
 
しかし貰える額ではゆとりのある生活を送れるには至りません。食費光熱費等の必要経費で全てなくなる感じです。若干自由にできる金額はありますが万を超える額はありません。この期間中に多少症状が安定したと思えた時期がありバイトをし仕事に就けるかどうか試しましたが1週間と続ける事ができませんでした。現在も同じような状態のため保護を抜ける事はできなさそうです。
 
うつを患ってからは医師意外の人との交流も途絶えたため中々相談できるような人間もいないので困っています。唯一の救いはパソコンで色々調べられる事。これで自分のような人間でも出来ることがあるのかどうか、同じような人はどうしているのか等知る事ができます。自分も今はノルマ無しの出来高制の在宅ワークで少しずつ作業をしながら慣らしていってます。少しでも早く保護を抜け、社会復帰できるようになれればと思っています。




生活保護体験談 N.S.さん28歳男性 難関国公立大学を鬱病で中退した彼が生活保護者になるまで 

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難関国公立大学を鬱病で中退した彼が生活保護者になるまで
N.S.(以降は彼と表記します)の人生の絶頂期は大学入試の時でした。彼は見事、D判定だった志望校に合格したのです。しかし、その後は大学にうまく馴染めずに苦しみ、単位もあまり取得できないまま鬱病となり4年後に大学を退学。千葉の実家に帰りましたが両親から責められ鬱病が悪化したため、最後の賭けとして神奈川県横浜市の安アパートを借りて引っ越しました。彼は今でもそこにいます。

始めの2年は障害基礎年金とバイトで生活していましたが、等級が低下し障害基礎年金が支給されなくなり、バイトも続けられずに追い詰められた彼が最後に縋ったのが生活保護でした。初めは役所に行った彼でしたが、長年人と話していなかったこともありうまく申請することもできずに門前払いされてしまいます。しかし、生活保護を受給しなければならないほど追い詰められており、相変わらず働けない彼は諦めませんでした。

続いて、彼は最寄りの福祉保健センターに向かい相談しました。そこでも危うく面接員に追い払われかけましたが、粘り強い相談の結果何とか彼は生活保護申請の協力を得ることに成功しました。どんなに生活が苦しくても格安スマホの契約は捨てず、まめな情報収集を行っていたことが幸いしました。皆さんも、生活保護受給以外に道がない場合は決して諦めないようにしましょう。諦めなければ道はいずれ開けます。

彼はその場で生活保護の申請書を書きました。この時は空腹で手が震えて力が入らずうまく書けなかったそうです。この当時の彼は1日2食、米や安い菓子パンを食べるだけの生活でした。ここまで追い詰められる前に生活保護申請の手続きを行うことをおすすめします。我慢しても良いことはありません。




その後は彼の実家に連絡が届きましたが、彼の実家は彼を責めるばかりで全く養う意欲を見せなかったので手続きはスムーズに進行しました。彼は幸運でしたが、事前に打ち合わせしておくとより確実に生活保護を受給できるでしょう。

その後は特に問題も起こらず、彼は無事生活保護受給に成功しました。最近の彼の幸せなことはおかず付きでお腹一杯ごはんを食べられることだそうです。
最近の彼は自分に向いたデータ処理などの仕事を探していますが、まだ仕事は見つかっていないようです。それでも、生活保護受給から半年ほどでここまで状態が回復したのは喜ばしいことです。以前の彼は骨に皮が張り付いたようなやせ細り具合で、いつ餓死してもおかしくないような感じでしたが、今の彼はとても健康的な外見です。やや太りすぎに見えるのはご愛敬でしょう。痩せすぎよりは太り気味の方がよほど良いです。
鬱病の症状も最近は落ち着いたようです。彼の鬱の原因はお金がないことで、その原因の一つが解消されたことで鬱病が快方に向かいつつあるのでしょう。あなたも、生活できずに苦しんでいるのであれば生活保護の受給を検討されたらいかがでしょうか?手間はかかりますが、手間さえかければ最低限生きていくのに十分なお金は支給されます。




生活保護体験談 S.M.さん23歳女性 私の祖母のお話です

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私の祖母のお話です
名前 S・M
年齢 23歳
性別 女
住んでいる市区町村
神奈川県 南足柄市

受給状況
湯河原町に住む、私の祖母(80代)は現在にわたって生活保護を受給しています。祖母はとても働き者で、つい5年前までは訪問ヘルパーとしてバリバリと仕事をこなしていました。
若いころから、飲食店、旅館、デイサービスと様々なところで絶え間なく働いてきた人です。

しかしある日、私の母のもとに、祖母が仕事先で倒れたと連絡がありました。そのまま病院に搬送され、一命をとりとめましたが、あと少し遅かったら亡くなっていたとお医者様はおっしゃっていました。原因は持病である糖尿病からなる、低血糖でした。仕事場からご老人宅までは、バイクを運転して訪問していたのですが、お医者さまのほうから、もうバイクの運転は控えてくださいと言われてしまい、祖母は職を失ってしまいました。

しばらくは、元勤め先の訪問ヘルパー本部の事務として仕事を続けていたのですが、ほどなくして持病も透析治療が必要なほどに悪化してしまいました。事務のみの収入では、生活が苦しくなってきたなかで、透析治療費を払うことは祖母には到底できることではありませんでした。祖母の生活費や治療費を支払うことは、自分達の生活もある両親では(私もまだ学生だったため)とても支払い切れず、公的機関に相談しに行きました。担当の方はあたたかく事情を聞いてくださり、申請することを勧めてくれました。




祖母は働いている間は、生活保護を受けている方への誹謗中傷をよく口にしていたため、申請をすることをすごくためらっていました。ですが、働ける体があるうちは幸せだったと実感し、受給者としては、生活保護を受けているのは本意ではなかったんだと再認識したのでしょう。祖母は申請をすることを決めました。

生活保護を受給したことによって、月12万円ほど支給されるようになり、家賃など住居に関する費用、最も負担が大きい透析治療などの医療費が無償化されました。家族の立場としてはとてもホッとしたのを覚えています。現在も祖母は元気に暮らしており、私にも娘が昨年生まれてひ孫の顔を見せることができました。大変嬉しいことだと思っております。ここまで、公的機関の方にはとてもお世話になりました。本当に感謝してもしきれない気持ちです。本当に困ったときに頼ることができる国の仕組みがあることは本当に素晴らしいことだと、家族一同この一件で実感しました。




生活保護体験談 M.Y.さん38歳男性 精神障碍持ちの独身女性が生活保護を受給できたケース

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精神障碍持ちの独身女性が生活保護を受給できたケース
お名前:M.Y(知人のイニシャルはN.N)
年齢:38歳(知人も同い年)
性別:男性(知人は女性)
お住まいの市区町村:知人は鹿児島県

今回は生活保護を受給している知人女性の話をさせて頂きます。彼女は現在38歳。鹿児島県に在住で、バツイチ子持ちなしの独身女性です。彼女と私は物理的な距離こそ離れているものの、旧知の仲であり、今でも頻繁に連絡を取り合っています。そんな彼女は現在「精神障碍者であり、就労困難である」ということを理由として、一人暮らしをしながら生活保護を申請し、受給をしています。

彼女には兄弟姉妹がおらず、そう遠くないところに住む母親と適度な頻度で会ったりして
いるようです。ちなみに実の父親とは彼女が幼少の頃に、両親の離婚に際して離れ離れになったそうです。彼女はかつて結婚をしていたこともあり、実の母親は離れてくらしていたそうですが、どういうわけかその母親も、以前から生活保護を受けて生活しているようです。

そして彼女自身長い間精神の障碍を持ってそれに闘いながら、なんとか仕事をしてきましたが、やはり病状的な部分で就労が困難であると主治医のほうから診断されたそうです。また本人の言葉を借りると、「35歳をすぎた女性を雇ってもらえる会社が見つからない」
という事情もあり、なんとかそれまでためてきた貯蓄を切り崩しながら生活をしてきたものの、いよいよたちゆかなくなってきたので、やむをえず生活保護の申請に踏み切ったそうです。




さて、彼女が住む自治体の役所の担当窓口に行って、生活保護を申請したい旨をいうと、
先方から以下の答えが返ってきたそうです。

・現在住んでいるマンションから、「基準家賃」以下の物件に引っ越すこと
・銀行の預金残高が、「50,000円」以下になっていること
・働けない理由を客観的に示す書類があったほうが、申請が通りやすい

このような条件を満たしてから、再度申請に来るようにと言われたとのことです。彼女は非常に素直な人なので、言われたとおりに有言実行したら、きちんと申請が通り、現在は「基準家賃」以下の物件ではありますが、ほそぼそとした生活をしっかり守っているそうです。

尚、「働けない理由を客観的に示す書類」というのが具体的にどのようなものを指すのかよくわからなかった彼女は、通院している精神科の主治医に相談の上、病名入りの「診断書」を書いてもらい、それを提出したそうです。これがどの程度、生活保護の申請許可に影響を与えたのかどうかは、定かではない、ということです。




生活保護体験談 I.M.さん30歳女性 私の父親の生活保護受給の手続きを手伝いました

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

父親の生活保護受給の手続きを手伝いました
IM 30歳 女性 東京都 八王子市

私の父親が生活保護を受けることになりました。

父親は私が子供の頃から仕事を転々とする悪い癖があり、私含め家族に凄い迷惑をかけていました。母親は仕方がないからとせっせと働き父親はその間家でゴロゴロしていました。何十年もそんな生活が続き母親の我慢が限界に達した時にめでたく熟年離婚することになりました。

両親が離婚し、私は結婚する事に。妹と母親はそれぞれ一人暮らしをする事になりました。
父親は支えてくれる母がいなくなった為働きたく無くても働かなくてはなりません。最初のうちはアルバイトをしてなんとか仕事をしていたのですが、又悪い癖が出て、仕事を辞めました。社会不適合者だと思います。辞めたら辞めたで、離婚したのに母親をあてにする始末です。

離婚した母親は関係が無いので、私が父親に次の仕事がみつかるまでの間生活保護を受けたらどう?と提案しました。私も結婚したてで父親1人を養って行くお金が無かったのと、今まで父親のせいで貧乏暮らしをしてきた分、正直お金を援助するという気持ちになれなかったのです。

父親は最初はみっともないと保護課に相談に行くのをためらっていましたが、明日の生活がない為半ば強引に役所に連れて行きました。父親は役所手続きが苦手で書類を書くことができません。緊張して手が震えるのです。今まで手続き系は母親が全てしてきたので何もできない人になっていました。なので、私が恥ずかしながら代弁代筆をする事にしました。




保護課に行く前に前もって情報をネットで検索すると、追い返されるだとか、かなりキツイことが書いてあったので正直すぐに生活保護を受給出来るとは思っていませんでした。念のため事前にネットで提出書類をプリントアウトし、記入しもって行きました。それと資産となる車を所有していると保護を受けるのが不利になるとあったので、駐車場に停まっていた四輪全てがパンクしている10年以上乗っていないオンボロ車の写真を撮影し、持って行きました。

保護科の人はかなり良い人で私の話を親身になって聞いてくれました。私も全てを包み隠さず話しました。車を所有しているところが申請するのに少しネックになると言われましたが、オンボロ車です。と言い、廃車にするお金も今はありませんと正直にお伝えし、車の写真を見せました。すると、当日のうちに生活保護を申請する流れになりました。後日、父親だけで市役所に行ってもらい再度面談。そして一週間後に自宅訪問しその又一週間後には生活費が父親の講座に振り込まれていました。

保護申請から2ヶ月がたち、父親が仕事をみつけたのでその旨を役所の人にお話したら次のお給料が出るまで保護費を振り込みますと言われました。母親、妹、そして私。3人が父親の事を心配していたので本当にこの3ヶ月間の間の生活保護受給は助かりました。父親には今の会社を辞めずにしっかり自立して欲しいです。そして私達に頼るのをもう辞めて欲しいです。