生活保護体験記」カテゴリーアーカイブ

みなさんからお寄せいただいた生活保護体験談

みなさんからお寄せいただいた生活保護の体験談やエピソードを集めてみました。出来るだけ原文のままおのせしていますが、プライバシーに関するところは改変してあります。色々な方の様々な体験が読み物としても心に響きます。

生活保護体験談






















生活保護体験談 T.K.さん40歳女性 母が生活保護を受給してました

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

母が生活保護を受給してました
ある日突然、知らない役所から「扶養状況照会書」というものが届きました。ぎょっとして封筒を開封し、文書を読むと、離婚して数年間、子供にさえ連絡先を残さず音信不通だった母が、この役所が管轄している所在地で生活保護の申請をしたというのです。このため、扶養義務のある親族に、母を扶養する意思があるか・扶養が可能かどうかを確認するための文書でした。

父はモラハラ体質で、母も相当の精神的被害を受けたのは理解しているので同情するのですが、ずっと専業主婦でなんのスキルもなく、新聞配達のバイトも1ヶ月でやめた世間知らずなのに、見切り発車で離婚しました。離婚するのはしょうがない、しかしその後の生活をどうするのか問い詰めたことがあったのですが、「なんとかなるわよ」と完全に他人事。
自分のことのはずなのですが、母の思考回路が私には全く理解できませんでした。その頃、祖父の遺産が少し手に入ったので、気も大きくなっていたのでしょう。何を言っても聞く耳を持たない母の説得をあきらめて放置し、数年間音信不通だったのです。

さらにその後の態度がひどかったです。
「こんな可哀想な私の要求を、子供であるお前達は全て受け入れるべき」
という感じで、子供の援助を勝手に最初からアテにしていた様子なのです。しかも
「生活が苦しいからお金の援助をして欲しい」と直接話をするのなら私も考える余地はあったのですが、
「お前たちのお父さんにさんざんいじめられて、こんなに傷ついて気の毒でか弱い私に、お前たちは何かすべきことがあるんじゃないかい?」
「こんな可哀想な私を働かせる気か。お前たちは人の心というものがないのか」
という、超絶上から目線。お母さんはまだ50になったばかりなのだからパートでいいから働いて欲しい、というまっとうな意見を言うとぶすむくれてそっぽを向いてだんまりを続ける始末。私はもちろん、弟も妹もそのうち疎遠になっていきました。




結局母は、私達子供に対して、父と同じような態度を取っているのです。父の私たちに対するやり方をそばで見て、「子供にはこういうふうに接すれば、自分の言うことを聞くものだ」と学習したのでしょう。私たちが父の言うことを聞かざるを得なかったのは、経済的に圧倒的に不利だったからです。自分たちの衣食住を確保するためのサバイバルそれは母も同じだったはず。

すでに自活している私たちにそのような態度を取って、なお自分は子供たちに愛されているはずだから援助するはず、子供は親に援助するべきなんだ、と思い込めるその図太い神経が、私には今も理解できません。思い起こせば、父が私たちにモラハラをしているとき、横でただ見ているだけで助けてくれなかった母に対する「情」など、とっくにないのです。残念ながら母は、そのあたりの人間の情の計算ができない、気の毒なくらい頭の弱い人だったのです。これではどこへいってもやっていけないでしょう。

扶養状況照会書には「経済的理由で扶養不可」と記入し、そのまま返送しました。離婚した父も弟妹も、特に申し合わせたわけではないのに「扶養不可」と回答したようで、申請は審査を通り、無事に生活保護が受給できたらしいです。




生活保護体験談 A.N.さん35歳女性 私の生活保護体験記

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

私の生活保護体験記
私は埼玉県在住、35歳の女A.Nです。現在就労しており、生活保護停止中です。生活保護を申請したのは今年の3月になります。

元々は日雇いの派遣社員として就労し、生計を立てていました。しかしある時から、仕事中にストレスを感じると声が出せなくなり、仕事を続けることができなくなったため、辞めてしまいました。その後は人前に出るのが怖かったため、家に引きこもり、預貯金を切り崩しながら生活していましたが、預貯金も底を尽きてしまいました。また家族からの援助についても、父と母を早くに亡くしているため、一切受けられない状況でした。どうしようもなくなった私は、インターネットで生活保護についての情報を見つけ、福祉事務所に相談することにしました。

まず福祉事務所に電話をかけ、「生活保護の申請をしたい」と伝え、日時の調整をしました。また持参するものとして、身分証明書、保険証、通帳、居住物件の契約書等を用意するよう言われました。そして当日、若干緊張しながら福祉事務所を訪れたわたしは、個室に案内され、相談をすることになりました。そこで今までの経歴、現在の資産保有状況、家族から援助を受けられないか、病歴はあるか等を確認され、一通り話が終わると、生活保護申請書等一式書類を渡され、申請することができました。

私が最初に抱いていたイメージでは、「働けるんだから保護受けられないよ」と門前払いされるものだと思っていましたが、後から聞いた話だと、保護を申請する権利は誰にでもあるため、それを拒むことはできないのだそうです。申請を受けてくれた方の話だと保護申請後に審査があり、14日から30日以内の間に結果がわかるとのこと。その期間は「却下されてしまうのではないか」と気が気じゃありませんでした。ちなみに審査というのは「その人が保護を受けるべき人間なのか」を調査するため、親族、銀行口座、保険を全て確認するのだそうです。




そして申請してから1ヶ月近くになった頃、福祉事務所から連絡があり、「保護受給開始となりました。説明とお金を渡したいので事務所まで来てください。」との連絡がありました。事務所にいくと再び個室に案内され、担当のケースワーカーが挨拶。20代の男性でした。聞けば今年まだ市役所に入って1年目だそうです。

保護費は12万円程、当時の私には生活するのに十分なお金です。またその際担当から、今の物件は高いので、6ヶ月以内に転居をするよう指示されました。現在の物件は生活保護の基準を超えているんだそうです。「私は今の物件が気に入っている」と伝えたところ、「それまでに保護を抜ければ問題ないですよ。」と淡々と言われました。イラッときましたが、機嫌を損ねてもしょうがないと思い、ひとまず我慢しました。また私は通院していないので、通院するか、就労活動をするかしなければいけないといわれ、「あまり話さない職場なら仕事ができる」と伝え、福祉事務所にいる就労相談員の支援をうけながら、自立を目指すことになりました。最後に「働いたらその収入を必ず報告してください」念押しされ面談を終了しました。

その後就労支援員の援助(履歴書作成、私に合った職探し)を受け、工場内の仕事に就職。収入が保護費を超えたため、現在は保護停止になっています。停止というのは廃止までの様子見期間であり、いつでも保護を再開できる期間だとのこと。停止を6ヶ月過ぎれば廃止になるというので、その日を目指して毎日奮闘中です。




生活保護体験談 R.S.さん23歳女性 母が生活保護を受けています

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

母が生活保護を受けています
名前 R.S
23歳の女性で葛飾区在住です。
私の母が現在進行形で生活保護を受給しています。約3年前に持病が悪化してしまったことで働くことができなくなりました。働くことができないのに治療費でどんどんお金がなくなり、最終的には家賃を支払うことすらできなくなりました。このままでは生きていけないと思い生活保護を受けることに。

初めに役所で相談した際に母と住所を別にする必要がある、と言われました。と言うのも母子家庭で私自身も働いていたので、ある程度の収入があると申請が通らないかもしれない。とのことでした。ですが現実には、私一人の給料で母の生活費や医療費を賄うだけの余裕はなく急いで引っ越しました。その後すぐに母は生活保護の申請をしましたが病気がかなり悪化していたこともあり、すんなりと申請は通ったようです。

実際の受給額ははっきりと分かりませんが、家賃は6万5千円程度(荒川区)だったと思います。家賃はいくらまで、と大体は決まっているようですが生活費の方から多少補填すればその金額以上の部屋に住むことはできるようでした。部屋探しについては初めから不動産屋さんに行くことをお勧めします。住んでいる地域にもよりますが都内だった場合やはり家賃の都合上古い物件しかない場合があるので、直接不動産屋さんに物件の状態や生活保護を受給している方は入居可能なのか等を聞いた方がスムーズに部屋探しができると思います。稀に本人が住みたいと思っても生活保護を受給している方は入居できない場合もあるようです。




他にも生活に必要な物も申請すると役所の方で購入していただける(もしくは何割か別途給付していただける)。と言うようなことを聞いたような気がします。ですがこちらはかなり審査基準が厳しかったか別途の給付金が少額だったようで、洗濯機や冷蔵庫を購入するのがかなり遅くなっていたように記憶しております。コインランドリーもあるので洗濯機は必ず必要なわけではありませんが、上記したように大型家電をお持ちでない場合は早めに担当の方にご相談されることをお勧めいたします。

毎月の給付金を受け取る方法についてですが、通常は毎月決まった日にちに役所の方に受け取りに行くと思います。しかし私の母は持病がひどいため外出することが困難な場合があります。なので役所の担当の方に相談をして、現在は口座振り込みにしていただいています。

交通機関についてですが、こちらも住んでいる場所によりけりでしょうが母の場合は都電や都営地下鉄や都バスは乗車運賃がかからなかったように記憶しております。




生活保護体験談 T.U.さん35歳男性 双極性障害のため生活保護を受給しています

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

双極性障害のため生活保護を受給しています
私が生活保護を受給しているのは、双極性障害と発達障害を持っているからです。これらの症状に気が付いたのは、今から4年ほど前のことになり、当時は自分が精神科に通院することになるなんて思ってもいませんでした。しかし、自分の気持ちとは裏腹に、現在は精神科に通院しながら生活保護を受給しているのが実情です。

・生活保護の申請は簡単にできました
私はまとも仕事をすることができない、と医師の診断が出たため、生活保護の申請は比較的簡単に出来たと思います。1回だけの仕事をすることはできるが、仕事を継続的に続けていくのが困難な症状とのことです。このことを生活保護課に話し、現在の生活、経済状況のありのままを説明しました。すると、1ヶ月ほどで生活保護の申請が通り、現在に至ります。
私の日常生活は、基本的に精神科のデイケアに通うことになっています。毎日朝の9時から午後の3時まで病院のデイケアで過ごすことになっています。朝ごはんは食パン2枚と決め、昼食はデイケアで用意されている物を食べ、夕食は惣菜を食べるようにしています。




・生活保護から抜け出すことができない
私はできることなら生活保護の受給から抜け出したいと考えています。生活保護の受給を受ける前は、とび職をしていたので、その頃の楽しい記憶ばかり蘇ります。しかし、私は精神科通院歴もありますし、精神障害者手帳の2級を持っています。こんな状態の私を雇ってくれるような会社は、障害者枠で入社できるような会社しかありませんし、学歴のない私には、難しい仕事ばかりのように感じています。そんな状態だからこそ、生活保護から抜け出すことは難しいなと感じています。

・最後に
生活保護を受けていることが恥ずかしい。私は毎日そんな気持ちで生活をしています。まだ仕事をできる年齢なのにも関わらず、生活保護をもらっている事自体が申し訳ない気持ちでいっぱいです。文章すれば、ありきたりなある男の人生だと思うかもしれませんが、当人としてはやりきれいない気持ちでいっぱいです。生活保護の庇護がなくても生活できるようになりたい気持ちはありますが、どうにもうまく行かなのが私の症状なのです。生活保護を受給している方の中には、不正受給をしている方も多いと聞きますが、私はその神経が羨ましく思います。私もそれくらい何も気にせずいられたらなぁと思います。なかなか前を向くことができませんが、これからも生活保護から抜け出すための努力をしていこうと思っています。




生活保護体験談 O.N.さん38歳男性 仕事を見つける期間に役立った生活保護 

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

仕事を見つける期間に役立った生活保護
私は33歳から35歳までの3年近くの期間で、生活保護を受給している時期がありました。現在は働いている状況ですが、利用していて精神的に助けられたと感じています。

現在の私(O・N)は埼玉県の日高市に住んでいる38歳の男性ですが、30歳のときに会社を辞職しました。会社では事務の仕事を8年ほど任せられていました。会社を辞めてから住まい地域のハローワークへ何度も通いましたが、私に合う事務の仕事がほとんど見つからずに面接に至るチャンスも少なく、次第に働くこと気力を低下させていきました。

私は現在は母親と二人暮らしであり、弟は10年前に東京に出て行ったきりで連絡は途絶え、父は2010年に肝臓の病気でなくなりました。母親は私が会社を辞めて精神的に苦しんでいる状況を、食事のときや昼間に顔を合わせた際にたまに心配してくれました。そのときに母が話してくれたのが生活保護でした。次の仕事が見つかるのがいつになるかわからないから、もらえるものはもらうべきだと母は伝えてくれました。




こうして自治体に生活保護を申請することに至りました。自治体で受給したいことを担当の人に伝えて申請書を受け取りましたが、最初は働いていないことをアピールすることでもあり、その一歩は大変に緊張したことを覚えています。待ち時間が妙に長く感じられました。その後、申請書を提出して調査を待つ段階に至りました。担当者が自宅へやってきて、面談の調査を行いましたし、資産や家族にお金を稼ぐ能力があるのかなどの扶養調査を行いました。私の家族は現時点で母親だけでしたが、母は働いていないため、私は受け取れる可能性が高いのではないかと感じていました。

自宅は私が働いて貯めた200万円ほどの預貯金がありました。自治体が依頼した事務所に銀行の確認を受けることになり、残高を盗み見られるようで気持ちがいいものではありませんでしたが、これも少しでも仕事が見つからない時期の足しになると考えたら恥と感じなくなりました。
その結果、約32,000円ほどの受給申請が許可されましたし、受給を受けた期間は仕事が見つかった2014年まででした。月に働いていれば、20万円ほどの給料が得られるわけで、金額を知ったときはこんなものなのかと考えましたが、私のことを心配してくれた母は32,000円ほどでもとても満足してくれました。

生活保護の体験は私に対して、次の仕事を体に無理して見つける必要がないのだと余裕を与えてくれた機関であり、現在でも感謝しています。




生活保護体験談 Y.K.さん35歳女性 自営業の店を閉め生活保護を受けました

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

自営業の店を閉め生活保護を受けました
私は数ヶ月前まで生活保護を受給していました。今となっては再就職したものの、ほんの少し前までは生活保護を受けており、その間は本当に辛い生活を強いられていました。私は岩盤浴をメインとする自営業を経営していたのですが、今の日本社会の不況の影響をもろに受け、経営は赤字が続いており、かなり厳しい状態でした。そして、専門機関から借金をしながらも何とか経営を続けていたものの、赤字は膨れあがりついに手が回らなくなり、店を閉めざるを得なくなりました。

店を閉めたのと同時に専門機関への借金の返済の目処を返答しなければならなくなりましたが、もちろん無職となった以上、その目処はありませんでした。そして、不運は続き、一緒に自営を営んでいた夫が病に倒れ、その治療費が嵩み、貯金は尽き、生活保護を利用せざるを得ない生活になりました、生活保護を申請するにあたり、色々な覚悟が必要でした。自分たちだけでは生きていけないと言うことを認めること、世間からの目、最低限の生活と治療費の兼ね合いなどです。




申請は思ったよりスムーズに行き、比較的簡単に受給の許可をもらえました。しかし、いざ、生活保護の受給が始まってみると、それは本当に辛い生活でした。本当に「最低限」でしか生活が出来ないのです。夫の治療費のことも考えると、食費も「売れ残りの時間を狙ったタイミング」でスーパーに買い物に行き、お風呂も湯船にはつかることが出来ず、22時以降は電気を消す、という生活をしていました。もちろん欲しい物は買えず、どこかに遊びに行くことは出来ませんでしたし、「お腹いっぱいになるまで食べる」ということも出来ませんでした。そして、保護費の多くは夫の治療費としてなくなっていきました。

専門機関への借金の返済を何とか延長してもらいながら極貧生活を続け、私はコンビニのレジ打ちのアルバイトを始めました。アルバイトといえども「働き先が見つかった」と言うことで生活保護の受給はそこでとまり、私の収入だけでの生活が始まりました。

生活保護を受けていたときとほとんど変わらない生活状況でしたが、辛抱の末、夫の病は回復し、私たちは再度人生をやり直すスタートラインに立つことになりました。私はコンビニのレジ打ちのアルバイトを続けながら、夫は何とか再就職できた証券会社の契約社員として2人3脚で生活していっています。生活は変わらず貧しいですが、「生活保護のあの頃を乗り越えられたから絶対やれる」を2人の合い言葉にして、何とか生活しています。




生活保護体験談 H.T.さん52歳男性 叔母が生活保護を受けた体験談 

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

叔母が生活保護を受けた体験談
H.T.52歳男性
私の叔母は以前10年間ほど、生活保護を受給していました。その理由ですが彼女は事情があって結婚後数年で離婚してしまい、体力的に恵まれていないのにもかかわらず、女手一つで子供を育てていました。40歳の時に出産していたので一層体力的に負担がかかる中、早朝から夜まで二つの仕事を大変な思いでこなしていました。

叔母とは家も近所で、私が幼少期から可愛がってくれた関係で親しい間柄でして、親子に近い感覚です。私が心配して体調を問いかけても、常に、何ともないから、と言って笑いながら返すのです。とはいえストレスを感じながら奮闘している様子がひしひしと感じられました。ですがある日、その叔母がついに倒れたのです。病院に搬送されたというので急いでかけつけました。事情を聴くと危険な状態なので、緊急に手術が行われていました。何とか一命はとりとめたものの、絶対安静な状態が必要とのことでした。もう少し到着が遅れていたら命も危なかったそうです。病名はストレスと過労からくる脳梗塞とのことでした。




治療は長期間に及び、とても働ける状況ではなくなってしまい、本人と相談した結果生活保護の申請をする結論に至りました。市役所に申請すれば受給は可能です。私も自分の生活で精いっぱいで支援できる余裕はなく、ほかに支援可能な親族もいません。

叔母は母子家庭のために医療費が免除されていたので、その分受給できる金額は多くなく9万円ほどだそうで、正直食べるのでやっとという状態みたいです。しかしこういう制度のおかげで何とかやっていけるという事は、受給を認めてくれた役所に素直に恩を感じる必要があります。生活保護がなければ食べられないわけですから。バイトをしても即市役所に知られてしまうので、バイトで収入を得るのは無理なようです。

そして数年後、叔母は何とか回復し、医師からのお墨付きをもらいバイトを開始しましたが、受給に関しての弊害は、自動車を持ってはいけない事です。自治体によってこの基準は多少差があるみたいですが。交通手段に乏しい地域なのでかなり不便さを強いられたようです。その点は私がなるべく足代わりになって助けてあげています。ですが周囲にそういう人がいない受給者は困る場合も考えられ、収入を得るのも難しい状況も考えられます。そういう場合は柔軟な発想もしてもらいたいと思います。

ただ叔母が受給によって救われたのは感謝してますし、困っている人は積極的に役所に足を運んでほしいです。打開策が開けると思います。




生活保護体験談 F.U.さん46歳男性 いとこの生活保護体験談

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

いとこの生活保護体験談
生活保護を受けている私のいとこの体験談です。彼は大分県内で一人暮らしをしているFU46歳男性です。2010年より生活保護を受給しています。その経緯なのですが、勤務していた会社をうつ病が原因で退社したのがきっかけでした。病院に通いながら治療に励みましたが、一向に回復に向かわず、貯えがなくなりくらし自体が破たん状態に陥ってしまいました。いとこの場合、両親は他界しており、兄弟とも完全に疎遠状態で頼る人もいない状況でした。私も相談にのりましたが、支援する余裕などなく、社会福祉協議会に相談に行きました。そこで生活保護の申請を勧められたのでした。

申請するにあたって、いとこと二人で市役所の生活福祉課の担当者に会い、今までの経緯と現状を事細かく聞かれました。というか根掘り葉掘りと言う感じで少々不快を感じる事もありました。いとこはうつ病の治療中という事で、担当者との対応に不安があったので私が補足するという感じでした。

丁度いとこが申請した頃は、生活保護への風当たりが強く、受給できるかどうか心配もありましたが、頼れる人がいなくて、仕事もすぐにできないという事から受給が決定し、二人とも安心しました。




当面の生活は何とかなりそうですが、いとこがとても複雑な表情を浮かべていたのが印象的でした。生活保護を受けるなんて人に言えないとも言っていました。この心理はうつ病の治療にダメージを与えかねないので、完全に割り切り早く病気を治し、仕事ができるようになろうと励ますようにしました。

生活保護申請にあたっての条件ですが,生活に困っているのはもちろん、労働できない、資産がない、援助する親族が皆無、などの条件をすべてクリアしなければ受給できないそうですが、借金がある人が受給できない事を初めて知りました。かなり審査が厳しいという印象でした。これは悪質な手口で生活保護のお金をだまし取っていた事件と無縁ではなさそうです。

車も基本的には駄目と言われましたが、いとこの住む地域は交通手段に乏しく、事情を説明したところ、例外として何とか保有を認められました。初めから無理と諦めずに熱意をもって伝える事の重要性も感じました。ですが自治体によっては頑なに受給を認めない所もあるそうです。この場合はNPO団体などに相談すると有効だそうです。

いとこですが、今も治療中でアルバイトもやっとの状態で、当分は受給に頼る事でしょうが、本人は早く打ち切れるようになりたいと強く思っているという事実を多くの人に知ってもらいたいし、そうなるよう私も手助けしていきます。




生活保護体験談 H.N.さん29歳女性 生活保護受給者に人権はない

皆さんからお寄せいただいた生活保護にまつわる体験談やエピソードです。出来るだけ原文に忠実な形でおのせしていますが一部プライバシーに関わる部分は改変してありますのでご了承下さい。

生活保護受給者に人権はない
HN年齢 29歳
性別 女
市町村 八戸市

2年ほど前、私が27歳だったときのことです。母と私が同時に職を失い、少しずつ返済していた借金を返すあてもなくなり、生活自体がままならなくなったことから市役所に行き生活保護を申請しました。申請してからしばらくは市役所の方との面談が続きます。他に頼れる身内はいないのか。親戚から借りられないのか。しかしそんなことが出来るのなら最初から生活保護申請などするわけもありません。家族や親戚に助けてもらえないことがわかるまで書類のやりとりや電話のやりとりなどもあり、多少時間はかかったものの、ほどなく受給に至りました。

母と娘、二人の世帯。保護費は月に14万ほどでした。お互いに働いていた時と比較したら半分以外になるわけですから、就職が決まるまでどう生活していくか、と悩みはしましたが、切り詰めれば生活できない金額でもありませんし、何より純粋に生かしてもらった、という感情のほうが強かったです。私にも母にも働く意思はあり、身体面でとくに問題があるわけでもなかったので就職支援も手配していただきました。

当時すでにテレビやニュースなどでもよく生活保護という言葉は耳にしていましたし、やはりどうしてもマイナスのイメージがついて回るため、友人などにも生活保護を受給していることは隠し通しました。




しかし焦れば焦るほど就職活動はうまくいかず、受けても受けても落とされる毎日。市役所やケースワーカーの方からすれば、早く就職させて生活保護受給をストップさせたいわけで、徐々に扱いはぞんざいになりました。
「仕事を選んでる場合じゃないでしょう?」
「とにもかくにも受けないと。合うか合わないかなんて、わからないんだから」
当然と言われれば当然ですが、選択の余地はまるでありませんでしたし、言い方はもっときつかったように記憶しています。

何より辛かったのは、外出する時でした。外食をしているわけでもない、ただスーパーで晩御飯の材料を選んでいるだけなのに、人目が気になってしょうがないのです。その食材を買うお金は誰のお金?と頭の中で声がするんです。誰も生活保護受給者だなんて知らないはずなんです、それでも責め立てられるような気がして、人目が気になってゆっくり買い物をする余裕などありませんでした。母も同じく人目が気になっていたらしく、二人で声に出して誓ったのは「早くここから抜け出して、人目を気にせず美味しいもの食べに行こう」。私と母は、それからすぐに就職することができました。

生活保護からも抜け、約束した、人目を気にせず美味しいものを…も叶いました。1年あまり生活保護を受給し、抜けて普通の生活に戻った今だから言えるのは、生活保護はあくまで必要とするひとだけに適応されるべきだということです。当時の私たちには必要でしたが、それだって私たち母娘の計画性のなさや後先を考えない性質からくるもので、本来は必要のないものだったと思います。本当に申し訳ないことをしたと思っています。同時に、生かしていただいたことへの感謝も大きいです。

ですが、世の中には働きたくても働けない、生きたくてもお金がない、そんなひとは山ほどいます。不正受給などのせいもあり生活保護には悪いイメージがついてまわります。本当に必要とするひとに、正しく使われる制度であってほしい、そう思います。